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北砂三・五丁目町会のあゆみ

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町会内にある治兵衛稲荷神社の碑文によると、慶安(1648年)の頃、治兵衛という人がこの地域一帯を新田に開拓したとあるが、約100年前、亀戸・大島・砂町地区は東京市の南葛飾郡に属し、江戸の近郊農村であった。

この地域も大正12年(1923年)の関東大震災で壊滅的な被害を受けたが、次第に復興し、昭和7年(1932年)には城東区となり工場地帯に発展した。しかし、昭和20年(1945年)3月の2度に渡る大空襲で再び焦土と化してしまった。

激しい興廃の中、戦後の昭和22年に深川区と合併して江東区が誕生し、焼け野原となった砂町地域も再び工場地帯に復興した。

この原動力となったのも小名木川などの豊かな水路であった。

このような経済的・社会的変動の中、都心近郊の住宅地として人口も増加し、高層住宅も目立つようになった。

併せて、地域の住民生活もコミュニティーも豊かになり、住民の生活は自分達で守り豊かにしていこうという意識が強くなり、昭和30年に北砂三丁目町会が誕生し、平成27年には創立60周年を迎えるに至った。

この間変遷もあるが、現在北砂三・五丁目町会は1260世帯を超え、江東区内でも有数の大きな町会です。地域住民の防災防犯、交通安全、衛生的な環境整備や地域の親睦活動など、地域が主体となった街づくりが増々重要になっています。

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